火曜3限

何やってもしっくり来ない。起きていても寝ていて、寝ていても起きている気分。

 

現実と夢の境目がはっきりしない。白黒はっきりさせたい性格の私にとって、ちょっとむしゃくしゃする状況である。


今日の3限とか特に。ご飯食べた後だったし。


授業中に何回目だってぐらいスマホ開いて、飽きて閉じても手持ち無沙汰でまた開いて。いつもインスタ→Twitter→スナチャ→Shein の順。開け閉じを繰り返す自分の

非生産的な行動に呆れる。

でも授業聞く気分でも無いからぼーっとして。

しまいにはパソコンもスマホも閉じて、ただただ先生の話す姿を見つめる。

 

聞くのではなく、見つめる。

 

教授は音を放つ物体。音は耳に入る事なく、私の頭の周りでバラバラと散りばめられて空中浮遊している。

先生の話す姿をぼーっと、無心で見てみる。

すると、先生の一生懸命に話す姿に惹き込まれる。

教授の人生を考えてみる。

大学院に進み、博士号を取り、自分の研究したい事に没頭しながら、人生を賭けるほど魅了された研究について後世へ伝える為に、教室を取って生徒の前で熱弁するのである。そして稼いだ授業代を研究に費やし、教室と研究室を往復しながら、自分の興味ある研究を、マリアナ海溝の底を探り当てるかのように、のめり込んで追究するのだ。

大学の教授になりたいと思った事は無いが、何かに翻弄されたかのように没頭する人生は心底羨ましいと思う。

 

しかし、多くの生徒が授業中に翻弄されているのは教授の話す内容ではなく、スマホである。教授は気づいているんだろうか、気づいているはずだ。気づいているはずなのに100分間も堂々と登壇し熱弁している。

 

授業の傍観者になった私は教室を見渡して、滑稽だな、と偉そうに思う。